ふと感じた事
今日の仕事を無事に終えて大好きな「一人交換日記」を読んでいたらふと気づいた事があったので、あわててはてなブログを開きました。
「一人交換日記」では、母との確執と母への執着が描かれていたけれど、私もそれほどじゃないにしても母への執着は少なからずあったと感じたのです。
小学生の頃は、心の病を持った母が好きではなく「恥ずかしい」とさえ感じていましたが、あるとき(多分小学5.6年くらい)から母をバカにされたり邪魔だと思われることにひどく怒りを覚えました。
邪魔だと思っていたのは私なのに。
母がいるから私は友達と十分に遊べないし気を使って生きて行かなくてはならないのだと心底思っていたのも本当です。
しかし今では母は被害者であると言う意識が抜けません。
母は可哀そうな存在で、やりきれない思いで人生を生きてきたのだと思っていて、それでもやっぱり好きかどうかと聞かれると好きにはなれないのだろうなと思っています。でも幸せにはなってほしくて、見捨てられないと感じている心もどこかにあるのです。
またこれは違った意味合いがあるのかもしれませんが、私にとっての寂しさの埋め合わせが母であった可能性があります。猫が死んでから。
猫が死んでからと言うもの、ハグをしたり妙に絡んでみたりと言った過度なスキンシップが多くなっていったと思っています。
寂しさを埋めるためにも、猫に癒しを求めていたのも自覚してるのです。
事実、今私はスキンシップを求める相手がいるので、急激に母に触れることが無くなりました。本当にめっきり触れたいと思わなくなったのです。
不思議なもので、母への執着とスキンシップや癒しはもしかしたら関係していたのではないかと思っていて、今は正直な話どんなに一人暮らしを否定されても実家を出て行ってやろうと言う気持ちは微塵も揺れ動いていません。
それまでは「母が可哀そうだから実家は出ないだろう」と考えていたくらいです。
永田カビさんの本にもあったように、自立とは依存先がたくさんあることなのではないかと言うのは一理あると思います。
友達や職場、恋人などがいることで一人に対いして執着しなくなるのだと私は感じています。
とりあえず私は一人で生きてみたいので、仕事頑張って一人暮らしにこぎつけようと思います。