私にとっての父
昨日は母のことを軽く触れました。
ちょこちょこ書いて行こうかなと思っていますが、今日は思うことがあったので父について書こうかと。
私はどちらかと言うと父の方が好きでした。
幼少期の頃は私にとっての母は怖い人で、ヒステリックに怒ってばっかりな人と言う印象が強いのです。
だから父が好きだった。
でも高校生から大学生にかけて遅れて反抗期が来たと思っていて、そのくらいから私がしたいこととか趣味がはっきりしてきて良く喧嘩したのを覚えています。
大好きなバンドのこと、デザイン系の勉強がしたいことも否定されたことが辛かったし、何より私の話をこれっぽっちも聞いてくれない父に腹が立ったのです。
それなのに母には私は大丈夫なのかと現在も聞いてくる。
私に直接聞けばいいことを、母から又聞きをするのです。
それがどうしても許せなかった。
私が大学で課題に追われていても、就活に苦しんでいても、何一つ私が話しをしても聞いてはくれなくて、デザイン系の仕事に関しても「趣味にしなさい」の一言で片づけられた。
最近で一番腹が立ったのは、高卒で働いている友達のことばかりを褒めること。
私は父から褒められたことなど一度もなかったから、他人の子供は褒めるんだととてもショックだったのを覚えています。
また、私の大学四年間を否定された気がして許せなかった。
大学四年間で学んだことはとても大きくて
考えも、技術もたくさん勉強になったから大切な四年間だったのに、って。
悲しかったのかもしれません。
認めてほしかった、もっと私を見てほしかったと期待していたんだと思います。
不満がほかにも多くて
酒の量がどう考えても依存症のそれである事、家にことに全く協力してくれなくなった事、酒のせいで仕事を早退したり、休んだりする事、休みの日は酒を飲んで何か食べて吐いて寝るしかしない事。
不満と言うよりは、いつかどうにかなるんじゃないかと言う不安感。
心配だってしています。
それでも言っても聞いてくれないし、重要に思ってくれない。
過去に事故だって起こしてしまっているのに、どうして真剣に考えてくれないのか悲しくて仕方がないのです。
先日は母と二人で二話の掃除をしていて、前まではやる気を出してくれたのにまったく手伝う事をしなかった。次の週になって父がやる気を出したのに五分も経たずにやる気をなくして寝てしまった事。
以前の父とは本当に違ってしまった。
本当に、身体がどうにかなってしまわないだろうか私たち家族の話よりも酒が大事になっている事が悲しい。
前に話をしようと言った母が聞いた「酒がないと話はできない」の話は耳を疑ってしまいました。
私はもうすでに父はアルコール依存症なのだろうと思っている。
文句しか言わないのに、家の事には非協力で私の仕事の事とか全く話を聞いてくれないのがとても悲しいのです。寂しいのです。
そう考えた今では、私は実家にいない方がいいのだと思っているのだけれど、母はこんなダメな父親のもとに私を置いて行かないでと拒否をするのです。
でもそのうち出ていきますけど。
焦りたくはないので長い目で見て、考えて一人暮らしは絶対します。