小さな世界もままならない

フリーライターだったりショップやってたり写真撮ってたりインスタやってたり色んなところに行ってみたい。本当にただの個人ブログ

身体のこと

自分の身体について、相談もあり病院に行ったのに

そっちの相談は全く乗ってくれなくて、半強制的に治療で通院することになり

強制的に市の検診を受けさせられて

最終的に転院することとなりました。

 

市の病院は紹介状がないと大変だったらしいので

紹介状を書いてもらえたことは感謝しなくてはなりませんが

最後の最後まで、あの先生は嫌いだなあと思いました。

 

話は聞いてくれないし、自分の話を優先するし

なんか怖いし

金銭的に、少し余裕が出てきたなと思ったら身体で悪いことろが見つかって結局またお金が多くかかるなんて、運がない。

 

なんだかいつも運がないなと考えてしまうのですが

これは私の悪いところなのだと思っています。

ネガティブはなるべく辞めたい。

今日は何を書こうと悩みながらキーボードを打っています。

ちょっと期間があいてしまっている気がする。

でも別に、自分にしか見せないブログだからいいかなと思っていますから、自分なりのペースで書いて行けばいいかなって思っています。

 

最近、いつもだったら気にしないようなことを(慣れてしまって気にしなかった事)が辛いと言うか寂しいと感じることがどうしても多くなって、辛くなってきました。

うちの家族の矛盾点は、察しろって言う雰囲気が強いことです。

父さんは家の事しないし、細かいこと気にすると仕方がないけどとにかく片さない。それはわかっているのに、お母さんはわざと片づけないでそのままにするんです。

父さんが気づいて片づけるまで一切片づけない、片づけないのわかってるのに何で?って聞いてもちゃんと答えてはくれない。

面倒なので結局全部私が片付けなどをします。ペットボトルだったりティッシュの箱だったりなんでも。

わかってるのに最近は何で私がいつもやらないといけないんだろうと思ったりもする。

 

またお母さんの話になるけれど

お母さんは父さんの機嫌をうかがうのが基本で、だからいつもニコニコしているんですが、私には一切それをしないんです。

気を使っていないんだよって言ってくれてるけど、基本的にお母さんは私の言葉を無視する傾向が強くて、私の口癖は「聞いてる?」になっています。

いつも返事は「うん」だけ、話を広げようとはしてくれないしテレビに反応しても無視(父さんには話を盛り上げてる)

一時期嫌で反抗したこともあったけど、いつからか多分高校終わりくらいから諦めていて気にしていなかったんだけど、なんだか最近はそれが辛くて辛くて仕方がなくて、いっそ一人の方が孤独を感じないなって思ってしまっています。

 

他にも寂しいことがたくさんあって、切なくて、孤独で、嫌になってしまう瞬間が辛くなって、視界がにじみます。

寂しいから一人になりたくないのに、一人にしてほしいっている変な感情がひたすらずっと支配している感じがして、苦しい。

 

 

フリーライターとしての私

フリーライターとしあ活動するようになったのは仕事をやめて二ヶ月くらいたってからだったように思います。

それまで大学でやってきたことを活かせる仕事を探していたけれど、「就職」と言うことがいまいちピンとこない、馴染まない私はとても悩んでいたのです。

(別件の仕事についての話もあったし)

 

自分でしたいことの為には自宅で仕事をする方がいいのではないだろうかと思い始め、はじめのいうちはデザインから動画作成などなど、色んな仕事を請け負ってみたけれど結局板についたのがフリーライターでした。

わたしの得意分野の一つが記事作成だったり文章おこしだったので(卒業制作で2万字近いレポートを書いた経験上+制作内容より)

 

とは言え初めは単価も低くて評価もまちまち、今の請け負ってる会社に落ち着くまでは結構かかってしまいました。その間何度も就職するべきか否かで悩みましたが、一応現在も続いています。

 

フリーライターと言っても家でできる程度のライターです。時間がないと別件の仕事ができないから。

だけれど誰でもできますか?と聞かれると、そうとも言い切れないと思います。あなたは一日八時間、PCに向かってリサーチしてオリジナルな文章を2万字書けますか?

わたしは書けます。

 

とは言え前職を嫌っているわけではなく、とても勉強になったし凄く私にとっては成長できたと思っていて、前職のおかげで私のしたいことを思い出したようなものでもあります。

だからやれと言われれば多分やれる(やりたくはないけど)

いつまでも忘れたくないのは、全国で四位を獲ったこと。

こればっかりは絶対忘れないし、すごく嬉しかった事。最後に出たミーティングでもとてもお店としても褒められたし、私たちが当たり前にしていた事が評価されて嬉しかったのも覚えています。

また勉強しないと多分携帯のショップ店員はできないね。

ふと感じた事

今日の仕事を無事に終えて大好きな「一人交換日記」を読んでいたらふと気づいた事があったので、あわててはてなブログを開きました。

 

「一人交換日記」では、母との確執と母への執着が描かれていたけれど、私もそれほどじゃないにしても母への執着は少なからずあったと感じたのです。

小学生の頃は、心の病を持った母が好きではなく「恥ずかしい」とさえ感じていましたが、あるとき(多分小学5.6年くらい)から母をバカにされたり邪魔だと思われることにひどく怒りを覚えました。

邪魔だと思っていたのは私なのに。

母がいるから私は友達と十分に遊べないし気を使って生きて行かなくてはならないのだと心底思っていたのも本当です。

 

しかし今では母は被害者であると言う意識が抜けません。

母は可哀そうな存在で、やりきれない思いで人生を生きてきたのだと思っていて、それでもやっぱり好きかどうかと聞かれると好きにはなれないのだろうなと思っています。でも幸せにはなってほしくて、見捨てられないと感じている心もどこかにあるのです。

 

またこれは違った意味合いがあるのかもしれませんが、私にとっての寂しさの埋め合わせが母であった可能性があります。猫が死んでから。

猫が死んでからと言うもの、ハグをしたり妙に絡んでみたりと言った過度なスキンシップが多くなっていったと思っています。

寂しさを埋めるためにも、猫に癒しを求めていたのも自覚してるのです。

事実、今私はスキンシップを求める相手がいるので、急激に母に触れることが無くなりました。本当にめっきり触れたいと思わなくなったのです。

 

不思議なもので、母への執着とスキンシップや癒しはもしかしたら関係していたのではないかと思っていて、今は正直な話どんなに一人暮らしを否定されても実家を出て行ってやろうと言う気持ちは微塵も揺れ動いていません。

それまでは「母が可哀そうだから実家は出ないだろう」と考えていたくらいです。

 

永田カビさんの本にもあったように、自立とは依存先がたくさんあることなのではないかと言うのは一理あると思います。

友達や職場、恋人などがいることで一人に対いして執着しなくなるのだと私は感じています。

 

とりあえず私は一人で生きてみたいので、仕事頑張って一人暮らしにこぎつけようと思います。

はじまりは多分小学生

今日も無事一日の目標を達成した。

昨日から何だかだるくて眠くて、今日はもう無理かもしれないって思ったけどなんとかなりました。

 

今日は何となく、お風呂で思ったので自分のことを書いてみようと思います。

私は自分のことを弱い人間だと思ってて、嫌なことからは目を背けるし逃げて生きてきました。嫌いな人は極力関わらず、当たり障りなく接しようとしてトラブルを避けてきました。

それの始まりは多分、小学生の頃一方的に怒られ嫌われて、蹴られた女の子ととある先生から説教を受けていた時先生が「嫌いな人や苦手な人がいたら近寄らない事」と教わったのを今でも鮮明に覚えいています。

 

実際私は嫌いな友達、めんどくさいことになりそうな人とは縁を切って一方的にこちらから逃げてきています。真剣に人と向き合う勇気がないんでしょう、今抱えてしまった問題も結局は自分が我慢していれば楽しくいられると思っているのです。

 

その一方で私は理不尽に対してあまり文句は言えないタイプです。前職では耐えかねて最後の方は嫌なことは断るようにしていました。(おかげでとても仕事がしやすかった一か月だった)

待たされても文句は言わない方だし、何をされても大丈夫だと思っています。

それでもやっぱり限界はあるみたいだから、愚痴は言うし悪口もいっぱいいう、ストレスと溜まっていくようです。

気づかないうちにたまっていて、たまに爆発したみたいに泣きじゃくることもあって、そんな自分がずっと嫌いなのだけれどでも自分の感情とか気持ちを言葉に表そうとすると詰まってうまく言えなくて泣いてしまうのが定番になりました。

そうなるのが嫌でまた自分の意見とか気持ちを隠し通そうとしているのかもしれません。心底めんどくさい性格なのでしょう。

 

基本的に寂しくても何も言えないし弱くなっていく自分が許せなくて大丈夫であると自分に言い聞かせています。

意味なんてないのかもしれないし、消えてなくなりたいと思うときもあってでも死にたいわけではなくて、消えたいんだって思ってしまう。

 

いつから自分の気持ちを表現できなくなったのかを考えてもきっかけと言うのはなかなか思い出せなくて、幼少期の思い出もいまいち思い出せないんです。

昔から自分が欲しいものもしたいことも、主張して来なかったって気づいていたんだけどでも昔から、物心ついたときからそうなら、直しようがないのではないかとも思いました。

 

だから結局私は優しいようで他人に興味がなくて、愛想があるようで相手のことなどまったく眼中にないのだと自己分析をしました。

そんな私が私は大嫌いなのです。

私にとっての父

昨日は母のことを軽く触れました。

ちょこちょこ書いて行こうかなと思っていますが、今日は思うことがあったので父について書こうかと。

 

私はどちらかと言うと父の方が好きでした。

幼少期の頃は私にとっての母は怖い人で、ヒステリックに怒ってばっかりな人と言う印象が強いのです。

だから父が好きだった。

でも高校生から大学生にかけて遅れて反抗期が来たと思っていて、そのくらいから私がしたいこととか趣味がはっきりしてきて良く喧嘩したのを覚えています。

大好きなバンドのこと、デザイン系の勉強がしたいことも否定されたことが辛かったし、何より私の話をこれっぽっちも聞いてくれない父に腹が立ったのです。

 

それなのに母には私は大丈夫なのかと現在も聞いてくる。

私に直接聞けばいいことを、母から又聞きをするのです。

それがどうしても許せなかった。

 

私が大学で課題に追われていても、就活に苦しんでいても、何一つ私が話しをしても聞いてはくれなくて、デザイン系の仕事に関しても「趣味にしなさい」の一言で片づけられた。

最近で一番腹が立ったのは、高卒で働いている友達のことばかりを褒めること。

私は父から褒められたことなど一度もなかったから、他人の子供は褒めるんだととてもショックだったのを覚えています。

また、私の大学四年間を否定された気がして許せなかった。

 

大学四年間で学んだことはとても大きくて

考えも、技術もたくさん勉強になったから大切な四年間だったのに、って。

悲しかったのかもしれません。

認めてほしかった、もっと私を見てほしかったと期待していたんだと思います。

 

不満がほかにも多くて

酒の量がどう考えても依存症のそれである事、家にことに全く協力してくれなくなった事、酒のせいで仕事を早退したり、休んだりする事、休みの日は酒を飲んで何か食べて吐いて寝るしかしない事。

不満と言うよりは、いつかどうにかなるんじゃないかと言う不安感。

心配だってしています。

 

それでも言っても聞いてくれないし、重要に思ってくれない。

過去に事故だって起こしてしまっているのに、どうして真剣に考えてくれないのか悲しくて仕方がないのです。

 

先日は母と二人で二話の掃除をしていて、前まではやる気を出してくれたのにまったく手伝う事をしなかった。次の週になって父がやる気を出したのに五分も経たずにやる気をなくして寝てしまった事。

 

以前の父とは本当に違ってしまった。

本当に、身体がどうにかなってしまわないだろうか私たち家族の話よりも酒が大事になっている事が悲しい。

前に話をしようと言った母が聞いた「酒がないと話はできない」の話は耳を疑ってしまいました。

 

私はもうすでに父はアルコール依存症なのだろうと思っている。

文句しか言わないのに、家の事には非協力で私の仕事の事とか全く話を聞いてくれないのがとても悲しいのです。寂しいのです。

そう考えた今では、私は実家にいない方がいいのだと思っているのだけれど、母はこんなダメな父親のもとに私を置いて行かないでと拒否をするのです。

 

でもそのうち出ていきますけど。

焦りたくはないので長い目で見て、考えて一人暮らしは絶対します。

今日書きたいこと

焦って仕事したから左手首が痛い。

そんなお年頃。

 

社会人一年目のGWは一日も休みがありませんでした。

休日祝日こそ稼ぎ時の仕事だったために連休なんて取れるわけもなく

サビ残当たり前理不尽生活

そんなことで…と言われても、私は辛かったんだと言って結局辞めたんです。

理不尽な先輩たちもクレームも、意味のない残業もモチベーションも下がった。辞めたことに後悔はないけれど、やってよかった仕事だとは思っています。

今年のGWはやっと普通に過ごせます。

 

 

私はエッセイ本が大好きで特に精神系の病気を持った方のコミックをよく読みます。

私の家族にも精神科に通っている人がいるからで、私は幼い頃から母親がそうだったからどういう病気なのか、どんな治療なのかをきちんと教えてもらえなかった。

 

タイミングがなかったからなんだろうけど

私はそんな人たちに対してどう思っているのだろうと考えて

答えは出ない。

 

そもそも日常的に傍にいるのであんまり実感がない

母と確執があるのかと言われればある様な気がするし、無いような気もする。

でも好きか嫌いかと聞かれれば、多分好きじゃない。と思う。

誰にも見せないような日記にしようと思ったのもそのためかもしれない。

 

今思えば、母が異常だとわかるけれど

症状が酷かった時は私はまだ幼稚園から小学生低学年くらいで

なんとも思っていなかったし、ヒステリックになる母を見て機嫌が悪いんだ程度にしか思っていなかったような気がする。

 

これは私のブログだから

不審に思ったことも書いて行きたい。勇気が出たら。

 

腑に落ちてないこともたくさんある。

疑問もあり、聞きたいこともたくさんあってでもたぶん、一生母には聞けないんだろうなって思ってる。

 

  • された側は一生覚えているけど、した側はあっさりと忘れる
  • 記憶は都合よく改変される

 

母から受けた言葉も暴力も私ははっきり覚えていて

これは母だけじゃないけど

父から言われた屈辱的な言葉も

異常に覚えている

覚えている方がバカみたいだなって思うことばかりだな。